外伝 ゴッチイズム

新日本プロレスの旗揚げ戦においてアントニオ猪木を破り、その後の新日本プロレスのファイトスタイルに多いなる影響を与えたのがカール・ゴッチというレスラーです。
正直な話、ゴッチは「プロレスラー」としては失格とも言えました。何故なら「強さ」というものを追い求め過ぎたために、アメリカのプロレスラーにとって一番大切なショーマンシップに欠けるところがあったからです。ゴッチはガチでやったら最強と言われていたのですが、アメリカのプロレス界においては今一つな存在の2流レスラーでした。
でもゴッチのそんな「ストロングスタイル」は、アントニオ猪木の思想にはピッタリ合致しました。新日本プロレスに入門した新人は、一度は必ず海外修業に出ることになるのですが、フロリダにあるゴッチの道場も、その修業先の一つとして選ばれることになったのです。

ゴッチはとにかく変人で、いかにして素手で人を殺すことが出来るのかを常時研究していたそうです。でも指導者としてのゴッチは一流で、ゴッチの弟子には木戸修、藤原喜明、前田日明、高田延彦、船木誠勝と言った層々たるメンバーが揃っております。
そんなゴッチも、最終的には新日本プロレス首脳陣からは嫌われることになりました。新日本プロレスとしては、「プロレス」のことを学ばせようと海外修業に出しているのに、ゴッチの思想「ゴッチイズム」に染まった新人は、プロレスラーには不必要な格闘思考を持って帰って来るのです。やがて新日本プロレスは新人をゴッチの下に送ることをしなくなり、また、ゴッチの弟子達はUWFへと旅立って行くことになったのです。

ゴッチイズムこそ最強にしてストロングスタイルの王道である、UWF系の全盛期はそのように思われておりました。実際、パンクラスはゴッチを最高顧問に添えてゴッチイズムの継承団体を名乗っておりましたし、前田日明や高田延彦にしても、ゴッチイズムの継承を自らの強さのウリとしている所がありました。もっとも、ゴッチ本来のスタイルはキャッチアズキャッチキャンと呼ばれる組み技主体のもので、キックを主体としたUWFのスタイルには否定的だったようですが・・・

その後、アルティメット大会に端を発する総合格闘技の黄金期が訪れることが無ければ、ゴッチはストロングスタイルの象徴として、日本におけるプロレスの神様として伝説となっていたことでしょう・・・でも残念ながら、ゴッチイズムによる格闘術は、総合格闘技においては全く通用しないことが、プライド等の実戦において判明してしまったのです・・・
結果としてゴッチイズムは、「プロレスラー」においては全く不要のものだったし、総合格闘技にも通用しない無用の長物だったと言えるでしょう。でもそのゴッチイズムがあったればこそ、新日本プロレスのストロングスタイルという思想が生まれたのです。ストロングスタイルが無ければUWFも生まれなかったし、K−1やプライドが登場することも無かったのです。
そう考えるとやはり、ゴッチイズムこそが、日本におけるプロレスと総合格闘技の原点だったと言えるでしょう。


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