外伝その3 プロレスとタニマチ&スポンサー

プロレスとは言ってしまえば興業であり芸能であるので、タニマチ、スポンサーとの関係は切っても切り離せないものがあります。本編ではその代表例としてメガネスーパーとSWSの関係を取り上げておりますが、他にも同じような話はいくらでもあります。
まずプロレスのタニマチ&スポンサーの典型例としてあげられるのは、猪木と佐川急便の関係でしょう。猪木が日本プロレスから独立できたのも、その後何度もピンチを脱出できたのも、佐川急便・佐川清会長の支援があったればこそのものだったのです。

第一次UWFがあっけなく崩壊したのは、スポンサー筋の問題もありました。第一次UWFには、金販売業者の最大手、豊田商事の支援を取り付ける話が進んでおりました。もっともこの豊田商事は1984年当時には、悪徳商法会社としてヤリ玉にあげられており、しまいには豊田会長がマスコミの面前で刺殺されるという大事件に発展してしまいました。そのためにスポンサー話が無くなったという裏話があったのです。
もしも会長刺殺事件などが起きなかったら、UWFは豊田商事をスポンサーにつけ、もっと長生きしていたかもしれません。

最近の話では、2012年11月に、スピードパートナーズという新興企業が全日本プロレスをスポンサードに名乗りでて、株式を全て買収した一件があります。このスピードパートナーズの白石社長は根っからのプロレスファンとのことなのですが、それならば少しはSWSのことなんかを調べなかったのかと呆れ果ててしまいます。
白石氏はマッチメークにも堂々と介入し、レスラー達にいわゆるプロレスではなくて真剣勝負をやれなどと息巻いているとか。プロレスの根幹に係る過度な干渉が、プロレスラーのプライドを一番刺激するデリケートなことだということも分からずに、よくもまあ自分はプロレスファンだとのドヤ顔でプロレス団体運営などに臨もうとしたものです。
結果、武藤を筆頭に大多数のレスラーが全日本プロレスを離脱することとなってしまいました。

タニマチやスポンサーとは、単純な資金援助のみならず、営業面でも大きな影響力を持っております。プロレスのチケット売上とは実のところ、プレイガイドに卸す前売り券や当日券の割合は少なく、その売上の殆どは、まとめ売りによるものなのです。
具体的には、営業担当が地元の工務店やスナックなどを回ってチケットを捌いて来るなどするのですが、有力なタニマチや支援者がいる場合には、そのルートでチケットをまとめて買って貰ったりできます。なればこそ、スポンサーやタニマチの獲得にレスラーは躍起になるものなのです。
WJプロレスが旗揚げ前にタニマチやスポンサー筋を集めて屋形船を貸し切って、おみやげに一個2万円のメロンを付けるという大豪遊宴会を開いたことがありました。その際にWJプロレスの福田社長は
「これが後で何百枚のチケットとなって返って来るんだ」
と言っていたそうです。もっとも現実はそううまくはいかなかったからこそ、WJプロレスは伝説のネタ団体としてあっけなく崩壊した訳なのですが・・・

ちなみに筆者も、工務店の社長をやっている友達の父親に、FMWの興業に連れて行って貰ったことがあるのですが、思えばその友達の父親も、何らかのルートでチケットをまとめ買いさせられたのでしょうね。
また、後で聞いたところによると、その友達の父親は興業が終わった後、大仁田厚と市内の高級クラブで一緒に飲んだそうです。そのチケットを売りつけた誰かが大仁田のタニマチ又はスポンサーをやっていて、タニマチ特権で大仁田をクラブに連れ出し、友達の父親はそのタニマチの取り巻きのような形でその打ち上げに参加したんでしょうね。

一方、ジャイアント馬場はタニマチを一切持たない主義でした。だからこそ馬場には猪木と違って得体の知れない連中が群がってくることもなく、手堅い健全経営が出来たのでしょう。もっとも馬場のそんな体質がたたってか、ノア独立後の三沢はスポンサー探しに非常に苦労することになったようです。

新日本プロレス末期の仕掛け人・上井一彦氏は営業力が抜群で、東京ドームなどの大規模興業があるときは、何百枚というチケットをポンポン売ってきたそうです。もっともそこはビッグマウスな上井氏らしく、チケットを売ったはイイものの売掛金が回収できなかったことが多々あったようですが。


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