第4話 UWFの誕生と分裂

★第二次UWFの栄枯盛衰 1988〜1991年頃

斬新な営業戦略で多くのファンを獲得したUWFは一大ブームを巻き起こし、この世の春を謳歌しておりました。1989年には東京ドームに進出。オール異種格闘技戦のU−COSMOSを開催し、これまた大成功を収め、UWFこそガチの格闘プロレスであるという「U幻想」を生み出すことになります。全日本ファンはUWFの影響を殆ど受けなかったものの、多くの新日本ファンはU幻想に捉われて、新日本プロレスを見限ることになりました。
こうして多くの信者を生み出したUWFでしたが、設立わずか2年を待たず、選手とフロントの確執が原因で崩壊することとなります。そもそもUWFとは、フロント部門を完全に独立させて選手は選手、営業は営業の体制を確立させたことが成功の大きな要因でした。なればこそ、神社長率いるフロントが、多大なる権力を握ることとなったのです。
神社長は第一次UWF時代にフロント業務に携わっていた若手一社員でした。それが前田が選手として専念したいが為に自らは社長とならず、とりあえず昔から馴染のある神氏をとりあえず社長に据えておいたというような経緯だったのです。ついこの間まで使いっ走りだった25才そこそこの神氏が急に社長ヅラし始めたのですから選手としては「何をあいつ生意気な!」となってしまい、大きな軋轢が生じることになったのです。
そんなフロント陣がSWSとの提携などを画策しはじめると、前田日明はその資金の流れに不明瞭さを感じ、神社長にその明細を開示するように詰め寄ります。こうして神社長と前田の間は一触即発となり、1990年12月、松本大会を最後に、全選手が解雇されることになったのでありました。
なお、神社長がUWFに流れ込んで来た莫大な資金を、本当に不透明使途不明に使い込んでいたのかは不明です。一見華やかに盛り上がっているかに見えた第二次UWFの会場も、実のところ末期はそのほとんどが招待券客で埋め尽くされていて、実益は殆ど出ていなかったとも言われておりますから・・・
ただ一つ言えることは、選手とフロントの対立とは、プロレス団体における永遠の命題だということでしょう。

★U系3団体誕生 1991年

UWFの崩壊とは、もともとは前田を中心とした選手とフロントの確執が原因でした。それならフロントさえ一新されれば新・UWFとしてリニューアルされてめでたしめでたしとなるはずだったのですが、UWFの末路はそのようにはなりませんでした。
松本総合運動公園体育館でのUWF最後の興業の日、UWF全選手は謹慎中だった前田をリング上に呼び、UWF万歳!と叫びあったはずなのに、一夜明けてみればUWFは3派に分裂していたのです。何故そのような流れになったのか?それは当事者である前田、高田、船木などの証言を聞いてみても、理由はサッパリ分からないそうです。気が付いたらそう流れていた・・・彼らからはそれ以上の答えは出てきません。

とは言ったものの、やはりそこに至るまでの原因というのはあります。
まず第一に前田日明についてなのですが、彼もまた佐山聡と同じ運命を辿ったと言えるでしょう。自分の理想の「格闘技」を追い求めたために周りが付いてこれなかった佐山同様、前田もまた、自分の理想とする「格闘プロレス団体」を回りに理解して貰えませんでした。
UWFも結局のところ「プロレス興業」である以上、いかに格闘色が強かろうがスポーツライクであろうが、その試合内容はやっぱり「プロレス」だったのです。定期的に多くのお客さんを集めて興業を打つ以上、本気の格闘技など危なくてやっていくことはできません。また、興行という性質上、そこはやはりエースがいて中堅がいて若手がいるという、「選手の格」というものが必要となります。そこに不満を抱いていたのが、船木誠勝、鈴木みのるを中心としたグループと、宮戸優光、安生洋二と言ったグループでした。

船木、鈴木はUWFが結局「プロレス」であることに失望し、今度こそ理想の格闘技プロレスをやろうと、藤原喜明を旗頭と掲げて「藤原組」を旗揚げすることになります。
もっともその船木と鈴木も、おおよそ10年後には前田と同じ運命を辿ることになるのですが・・・

宮戸、安生と言ったグループは、「格」の違いというものに不満を感じておりました。彼らは船木鈴木とは違い、むしろUWFの格闘技思考を嫌っていたというのですからUWFという団体は面白いものです。このまま新たなUWFが立ち上げられたところで結局、自分達は前田の手駒の下っ端くらいな扱いしか受けられないであろうと感じていた宮戸、安生グループは、ナンバー2&時期エースの座を新星・船木に脅かされていた高田を神輿に担いだUWFインターナショナルを設立することとなります。

さてプロレスであることに不満を感じた船木・鈴木グループと、格闘技思考に不満を感じた宮戸・安生グループ、一見矛盾しているようですが、そこに前田の苦悩がありました。
その後、前田が限りなくガチ異種格闘技総合団体に近いと言えるリングスを設立していることでも分かるとおり、前田自身は極めて格闘技思考の強い人物でした。でもやはり、前述したようにガチな格闘技の定期興業というのは興業ベースで考える限り厳しいものがあります。そこで前田は、とりあえず格闘技風「プロレス」という実験をしながら今後を模索しているようなところがあったのです。前田にしても、興行を安定させて選手たちの生活を確保しようと必死だった訳ですから、そんな前田には同情を禁じえません。何しろ前田はUWFが事実上の解散状態になってからも、後ろ足で砂かけて出て行ったかつての仲間たちにも、自らのポケットマネーで以前と変わらぬ給料を振り込んでいたのですから・・・
ともあれ、結局前田は一人取り残されることになり、今度こそはと理想の総合格闘技ネットワーク・リングスを設立することになったのです。


 第5話へと続く


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