第6話 俺たちの時代

★俺たちの時代 1989年頃〜

猪木が政界に去り、馬場も一線から退くことにより、プロレス界の名言メーカー長州力が1985年8月のジャパンプロレス大阪城ホール大会にて言い放ったセリフ・・・

「もう馬場、猪木の時代じゃないぞ。鶴田、藤波、天龍、俺たちの時代だ!」

という状況がようやく実現することになったのです。
もっとも、新日本プロレスはUWFに追い立てられ、全日本プロレスはSWSの大量引き抜きに合い、どちらも壊滅寸前です。それでも新日本プロレスは武藤、橋本、蝶野の闘魂三銃士の台頭、獣神サンダーライガーのデビュー、元横綱・北尾光司のプロレス参戦などで話題を集め、また、1990年2月には初の東京ドーム進出など、攻めの姿勢を崩しませんでした。その後もG1クライマックス、ベストオブスーパージュニアなどと言ったヒット企画を飛ばし、ジワジワと経営を安定させて行ったのです。
一方、深刻な戦力不足に陥った全日本プロレスでは、1990年5月、二代目タイガーマスクとして活躍していた三沢光晴が突如マスクを脱ぎ捨て、ジャンボ鶴田に対しての世代間闘争を仕掛けます。三沢は小橋健太、川田利明と組んで超世代軍を結成し、鶴田との熱い抗争を繰り広げます。そこにスタン・ハンセン、テリー・ゴディ、スティーブ・ウィリアムスと言った強豪外国人も加わってマッチメークと試合内容を充実させ、全日本プロレスは息を吹き返すことになったのでありました。

★SWSの崩壊 WARとNOW〜大日本プロレスへ 1992年

このSWS崩壊のいきさつほど、プロレスラーという人種、プロレス団体の本質を現しているものは無いのではないかと思います。
前述したとおり、SWSの資金は充実しておりましたし戦力も豊富でした。そんなSWS最大の悲劇は、メガネスーパー・田中社長が、プロレスには筋書きなどというものは存在せず、全てはガチだと信じていたことにあったと言えるでしょう。
SWSは相撲のような部屋別道場制をしいており、天龍源一郎のレボリューション、若松市政の道場檄、ジョージ高野のパライストラの3部屋がしのぎを削り合うという形を取っておりました。田中社長としては純粋に、相撲部屋のようにそれぞれ切磋琢磨して貰えればと思ってこのような体制としたのですが、残念ながらプロレスと相撲は違います。相撲ならば純粋に強さを求めて結果を出せば、自らの地位、部屋の格が上がって行きます。でもプロレスはそうではありません。一人のマッチメーカーが全ての勝敗、ストーリーラインを決めるのです。猪木新日本、馬場全日本のように一人の絶対的権力者のもとに全てを結集する体制を作らなければ、マッチメークなど出来っこないのです。
SWSは天龍をエースとした団体ですから、当然、天龍率いるレボリューションがマッチメークの主導権を握ることとなりました。主にグレート・カブキがマッチメークをしていたようです。
天龍派としては、SWS全体を盛り上げるためのマッチメークをしているつもりでも、道場檄やパライストラの選手はそうは思いません。

「ちくしょう! レボリューションの連中ばかりオイシイ思いをしやがって!」

プロレスが完全実力決着だったのなら、諦めもつくと思います。自分よりも天龍の方が強いんだから仕方ないやと納得できますから。でもプロレスはそうではありません。そもそもプロレスには、エースになるための明確な基準など無いのですから、

「俺がマッチメーカーになればもっと客は入る! エースにふさわしいのは天龍なんかじゃなくて俺だ!」

となってしまうのです。
これが元々、完全に天龍を頂点と仰いだピラミッド体制を敷いていたのなら話は違ったのかもしれません。でも現実として3つの頭を抱えたSWSは、純粋なスポーツ的争いとは違う、ドロドロ醜い派閥争いを繰り広げて行くことになったのです。

また、SWSと言えば高額ギャラです。それならば選手がみなそれに満足していたかと言えば、これまたそうでは無かったのです。

「なんで俺より天龍の方が高いギャラを貰っているんだ!」

彼らにとって重要なのは、絶対値よりも相対値だったのです。古巣のときよりもイイ金を貰って、派手なスポットライトを浴びて、主役級の扱いを受けていたとしても、自分が一番じゃなくては気が済まないのがレスラーという人種なのです。

こうしてSWSは設立2年で内部分裂することとなりました。
SWS晩期の田中社長は、あまりに身勝手なレスラーたち、スポンサードを無心して近づいてくる得体の知れない連中に嫌気がさしておりました。田中社長はレボリューションと道場檄、パライストラに手切れ金を渡し、レボリューションはWAR、道場檄とパライストラはNOWとして二つの新団体に分裂したのでありました。更にそれとは別系統でSWSを崩壊に導いたA級戦犯、内部分裂を煽ったアジテーター、谷津嘉章がSPWFを設立し、地味な活動を始めております。
なお、NOWはその後、更にジョージ高野がPWCとして分離独立します。PWCはすぐさま崩壊してしまいますがNOWの方はその後、紆余曲折を経てデスマッチ団体・大日本プロレスとして生まれ変わることとなりました。大日本プロレスは2013年現在においても元気にデスマッチに勤しんでいるようですね。
また、後にWARからは石川敬二が独立し、東京プロレスなどというインディー団体も誕生しております。他にも谷津のSPWFからも更に、レッスル夢ファクトリーなどという名前だけは一丁前な団体が分裂発生しております。どちらもその寿命は2年ほどでしたが・・・

NOWしかりPWCしかり東京プロレスしかり、誰がどう客観的に見ても、こんな雑魚共がプロレス団体作っても客が入るわけねーだろって連中が簡単に独立旗揚げしておりますが、これは大仁田厚の影響が大きいです。

「あんなポンコツですら成功出来るんだからオレだって!」

そんな甘い見通しで作られてみたものの速攻潰れて行く団体が、雨後のタケノコのごとく量産されることになったのは、大仁田FMWの成功が元凶だったことは間違い無いでしょう。

なお、天龍率いるWARは2000年には活動を停止したのですが、決して経営難による崩壊という訳ではなく、そうなる前にうまく団体を畳んだという感じでした。
天龍自身はその後もありとあらゆる団体に参戦し、ミスタープロレスと呼ばれるほどの大活躍を見せております。天龍はアントニオ猪木、ジャイアント馬場の両巨頭からフォールを奪った唯一のレスラーとして有名ですが、天龍はこの二人に限らず、名だたるレスラーのほとんどからフォール勝ちをしたことがあるのではないかと思います。
プロレス界の大物というと、まずは力道山、猪木、馬場、そして大仁田の名が挙がると思いますが、筆者的には天龍はそれに次ぐくらいの大物と評価しております。


 第7話へと続く


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